鏡をよく見て

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高杉のことを書きます

最新話を読んだので、高杉のことを書きます。

何を言っても蛇足になってしまうような気がして、黙って布団に突っ伏してるのが正解なんじゃないかとも思うんですが

自分の気持ちを整理するのと、あと今の素直な気持ちを残しておきたかったので、高杉のことを書きます。

1%でも、0.01%でも、なにか可能性が残っていれば「そうなのかもしれない」ってどれだけでも世界を広げることができるのが想像というものです。

それを頼りに、なんか色々かいてきたつもりでした。

でも、もう高杉の可能性はないんですね。

0になってしまった。これから先の想像をすることができない。

それがとにかく寂しくてしょうがないです。これが死んでしまうということか、と痛感しています。

 

アニメとか漫画とか見てると、なんというか「名作分岐点」みたいなものが自分の中であって、

「あっ、ここのシーンめちゃくちゃ良いな!こりゃあこの先どんな展開になっても自分の中で名作認定だ」って思う瞬間があるんですよ。

完璧な作品ってないと思ってて、あんまり全体の姿で評価することができないっていうか…

加点方式でものごとを見てしまうクセがあるんです。

そういう見方をしてるので、世間の評価と自分の中の評価が違っててがっかりするっていうのをけっこう経験してるんですけど、

そういえば銀魂で「名作分岐点」を感じたことないなって、今ふと思いました。

この先どんな展開が待ち構えてても名作だな!って思ったことないなって。

目の前の一話に一生懸命で、先の話のこと考えてる余裕がなかったからかな。

銀魂の終わりを見届けたい、ということはずっと思ってたんですけど、

この話の流れなら高杉が死んでもおかしくないとか、

高杉が死ぬ心の準備とか、そういうの全くしてなかったんですね…。

甘いよって思われるかもしれませんが、銀魂って目の当たりにする瞬間まで本当に何が起こるか分からないじゃないですか。

ただ覚悟してなかったのは確かなんですけど、だからショックだとか、意外だったとかではなくて

本当に寂しいなっていう。その気持ちでいっぱいです。

予想してた?覚悟してた?意外だった?って聞かれても、その全部が違うんです。なんか不思議だ。

 

高杉に生きて欲しかったのか、それともこれで良かったのか

そのへんの議論は今まで自分の中でさんざんやってきて疲れたので、もう今更言うことはないです。

今まで銀魂の登場人物ってたくさん死んで来たけど、

必要性とか意味とかで語られるのって、けっこうむなしいなって思ったので。

空知先生がそうかいたからそうなった。それで良いんじゃないかなと思います。個人的にだけど。

 

銀時のシケたツラ見て永遠に閉じられた左目と、

銀時のシケてないツラ見て永遠に閉じられた右目って

書いてて思わず笑いそうになっちゃった。

少なくとも高杉が死ぬっていう場面において、これ以上望めないなって思った。

今まで高杉っていうと左目のイメージばかり先行してたけど、だからこそ

高杉が死ぬ話のタイトルが「右目」なこと、

「右目が閉じる時」という言葉、

ずっしり心にきて、良いなぁって思いました。

高杉が死んで、高杉と銀時はやっと二人になったんだなぁと思った。

普通銀時が残されて一人になったって思うのに、この二人は逆だね。

きっぱり、はっきり二人の間に引かれた線が今はとても寂しいです。

 

本当に高杉が大好きだった。陳腐だけど、過去形になっちゃったんだなってしみじみ思います。

高杉の好きなところを言い出すときりがないので、やめます。

こういうことがあると、すーぐ「こんなにつらい思いをするなら出会わなければ良かった」とか言い出すのが私なんですけど、

確かに高杉のことが好きでしんどい思いたくさんしましたけど、楽しいことや、幸せなこともたくさんあって、

それを蔑ろになんて出来ないので、高杉に会えて良かった。

高杉に会えて、こんなにかっこいい人のこと好きになれて、全部見届けられて、良かったなぁって思います。

大好きでした。ありがとう。